Interview
先輩移住者の声
移住者(Iターン)
子育てがきっかけで
宇山 基道さん(東京都・伊豆大島出身)、 江美子さん(飯豊町出身)、つばき君
飯豊町に移住して13年目
移住のきっかけ
伊豆大島で生まれ、大学進学とともに上京しました。卒業後は実家の水産業を継ぐ予定でしたが、3年を目途に音楽の道へ進み、東京でシンガーソングライターとして活動、その後結婚、そして子供が生まれました。当時住んでいた川崎市は待機児童全国ナンバーワン。都心での子育てには自信が持てず、夫婦で話し合い子育て移住を計画しました。また、そのタイミングで伊豆大島で私が通った小学校が統廃合で廃校になるため、新しくできる学校の校歌を作って欲しいとの依頼がきました。売らなきゃいけない音楽ではなく、この人に届けなきゃいけない明確な相手がある、これまでのスタイルとは違う音楽。一生音楽ができそうだと思ったのも移住を後押しする大きなきっかけだったと思います。奥さんの実家があり、何度か訪れていた飯豊町への移住を決めました。
住まい探し
1年間は南陽のアパ―トに住みながら、飯豊町や高畠町で住まいを探しました。飯豊町の空き家バンクなどをみていたところ、ちょうど良いタイミングで飯豊町に住む親せきが家を住み替えると聞き、そのまま親戚のお家を譲り受けてからずっと今の家で暮らしています。アパートから一軒家になったことで少し水周りを整える必要があったことや、冬の除雪が大変だったりもしますが、そう大きいことではありません。
仕事
移住してから半年ほどは皿洗いや結婚式場の照明・音響などのアルバイトをやっていました。地に足のついた仕事をしなくてはと思い、ヘルパーの資格を取りました。デイサービスで8年働き、現在はケアマネージャーとして勤務を始めて5年になります。音楽の仕事はやらないつもりでいましたが、町内のイベントの出演依頼を受けたり、介護現場では毎月のコンサートで演奏しています。音楽はやめられません。
移住して困ったことやびっくりしたこと
困ったことはあまりないです。除雪に関してはアパートに住んでいた時に比べると労働量は変わりました。親戚に家を譲り受けた時、「5人組に入るか?」と言われ、何のことかさっぱりわかりませんでした。5人組とは、近隣の家同士の共同体の様なものです。年に1回、近所の家庭が5軒ほど集まって取り決めを行う「契約」が行われます。親戚に繋いでもらったこともあり、5人組があることで地域にもスムーズに入ることができました。
(※地区によって5人組の軒数は異なります。)
地域との関わり
5人組や自治会にも入り、近所の人とはすぐに顔見知りになりました。地域のわからないことなど、皆さん親切に教えてくださいます。現在は地区の防災担当をしていて、息子とカレンダーを配ったりしています。
今後の展望
現在、おらんだラジオ(飯豊町と隣町の長井市を中心としたコミュニティーFM)で番組を担当させていただいています。移住された方の本音や人柄をラジオの電波に乗せて地域の方にお届けしたいです。また、息子のために「これからどこを目指すのか」サポートできたらいいなと思います。
飯豊町における子育てについて
江美子さん:東京での子育ては大変でした。満員電車、階段も多く、保育園はすし詰め状態。子育てに適した環境なのかという疑問があり、自分が育った環境とは違い、大変さを痛感しました。やはり飯豊町に戻ってきてよかったです。満員電車もないし、保育園にも困らないし、子育てをする上で子供に目を向ける時間が多くなり、自分の心に余裕ができました。地域の方々も声をかけてくださり、子供の事を知ってくださっていて、地域の方々も一緒に育ててくださっているという安心感があります。現在は息子も中学生になり、一緒に音楽を楽しみ、化石発掘など、刺激いっぱいに過ごしています。
飯豊町の魅力
水・野菜・お米がおいしいです。何を食べても美味しい。食に恵まれています!何もないからこそ、自分で作り出せる環境にあります。なければ作れば良い。余白がたくさんあり、子供にとっても将来的に役に立つと思っています。将来何を志してもどこでも生きていける人間になると思います。子育てにおいては良い環境で、飯豊町には生きた教材がたくさんあるところも魅力に感じています。
「子育てにゆとりができる町」